2022年04月20日

ウクライナの国民を、今すぐ救う方法は何か?

ウクライナの国民を、今すぐ救う方法は何か?

それは、ウクライナのゼレンスキー大統領がロシアに降伏することです。

具体的には、なるべく自国の不利益にならないように停戦交渉をして、戦争を止めることです。

この意見には、反対意見も多くあると思います。

しかし、過去の日本の指導者はこのようなことをやってきました。

太平洋戦争(第二次世界大戦)は、昭和天皇は無条件降伏て、終わりました。

昭和天皇は玉音放送で「堪え難きを堪へ 忍び難きを忍び」という思いはあったもの、

それ以上の戦死者をなくすために、敗北を受け入れたのです。

幕末にもそのようなことがありました。

江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還して、その後少し戦闘がありましたが、

戦争は止むことなったのです。

徳川慶喜は、やさしい人だったの言われています。

また、日本には「国譲りの神話」というものがあります。

詳しくは調べてほしいのですが、

大国主命(おおくにぬしのみこと)が天照大神 (あまてらすおおみかみ) に国を

戦争をしないで自分の国を譲ったという話です。

話は少し変わります。

世界には将棋に似たボードゲームがいろいろありますが、

将棋には審判者なく、敗者が敗北を認めた時に終わります。

「負けました。」と敗者が言って終わります。

敗者にとって、その言葉をいうことは辛いことですが。

敗者はそれによって強くなるのです。

また、将棋は世界で唯一相手の駒を殺さないゲームなのです。

さて、最後まで戦うと言うと勇敢のように聞こえますが、本当でしょうか?

多くの死者を出すだけではないでしょうか。

敗北を受け入れることによって、多くの国民を救うことになるのではないでしょうか。

争いを避けることができる人が本当の勇者です。

日本は敗北を受け入れて未だ問題は多いですが、

なんとかなっているのではないでしょうか。

なんとかなります。
posted by 法津如来 at 06:02| Comment(5) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月19日

「カ」は、根源のエネルギー

一昨日の記事「カタカムナ継承者が語る日本語の秘密」の説明で、

私はカタカムナの『「カ」は、全ての根源のエネルギーです。』と書きました。

それに対して、才木広之さんは次のようにコメントされました。

(以下引用)
カタカムナの

カは

起源のようなものと解釈するなら

仏教で言う所の

業にあたると思います
(以上引用)

少し違うかなと思いましたが、

仏教で言う所の業(カルマ)には、いろいろな意味があります。

業(カルマ)は、行為、行為の原因、行為の結果、或いはそれらのエネルギー等です。

業(カルマ)は、輪廻のエネルギーと考えてよいのです。

上古代のカタカムナ人は「全てのものは自転・公転をしている(マワリテメクル)」と直観していました。

そのように考えると、業=「カ」と考えてもよい。

むしろ、才木さんの直観は当たっていたと言えるのです。

それは、今まで私が考えていなかったことです。

このように考えると、今までの概念の枠が広がります。

ちなみに、業はサンスクリット語のカルマの訳ですが、

カルマの音の響きを感じると「カ」が響きます。

根源のエネルギーの響きです。

「ル」は「アル(有)」の「ル」です。

「ル」は存在を意味する響きなのです。

(これは私の直観でありましたが、後日読んだ熊倉千之著「日本語の深層(筑摩選書)」という本の中に、
カタカムナとは別の切り口でこのことに言及していました。)

「マ」は「間」です。「トキトコロ」なのです。

「カルマ」は、「今この場に根源のエネルギーがある」という意味になります。

「カルマ」は「カ」を詳しく述べたものなのです。

「カ」についても、「カルマ」についても考え方の枠が広がります。

「カ」と同様に、日本語の48音のそれぞれの音の響きにはそれそれ思念があるのです。

それを注意深く、唱え、聞いていると、その音の思念がわかってきます。

始めは、わからないでしょう。それでもいいのです。

だんだんわかってきます。

カタカムナの5首、6首を唱えると、日本語の48音を全て唱えられます。

始めはわからなくてもよいので、何度も唱えて下さい。

不思議と、心が落ち着きます。そうすると身体も緩んでくるのです。

体調もよくなります。

きっと、幸せになっているのです。

カタカムナ5首、6首を唱えると、

悪い業(カルマ)を跳ね返し、

善い業(カルマ)の力を発揮させるでしょう。

カタカムナ5首、6首をカタカナで書いておきます。

あなたの好きなリズムで唱えて下さい

ヒフミヨイ

マワリテメクル

ムナヤコト

アウノスヘシレ

カタチサキ

ソラニモロケセ

ユヱヌオヲ

ハエツヰネホン

カタカムナ

以上です。

ありがとうございました。
posted by 法津如来 at 05:27| Comment(5) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月18日

石法如来の寄稿:赦す(実親を許した日)その2

不幸の連鎖はともかく、人間は因縁に突き動かされている存在であるという教えは、自分自身に大きな転機を与えてくれました。
 
それが本当なら、実親自身も因縁の被害者?ということになるからです。・・・「そうか、両親も因縁の力に動かされ、そうなる様な行動を取らされていたのか?」と理解し、親に全ての責任があるわけでは無く、その様な環境に生まれ育った自分自身にも、(目に見えないけれど)何らかの原因があるのだと、自らを省みる気持ちが生まれました。
 
勿論、その考えが正しいものかどうか?は確かめようもありません。ですが、善い意味に捉え・考えを変えることで、少しでも明るく前向きに生きようとする気持ちが芽生え、人生は好転するのではないかと信じることにしたのです。
 
因縁という言葉は、理解が難しくある意味「どのようにでも捉えることの出来る」教え(言葉)でもあります。
阿含宗の教学のように、「この様な悪い因縁があるぞ」と脅しておいて、しっかり修行に専念させるというのは新興宗教の手法ですが、逆に因縁の怖さに縛られ萎縮する、あるいは必要以上に教祖の教えに従うようになる等の弊害も考えられます。
 
例えば、病気の一つであるガンに関して、お前には「ガンの因縁があるぞ」と教祖から示されたら、とんでもなく大きなショックを受け平常心を失うことになります。
以前因縁に関する記事にも書きましたが、因縁という言葉が内包する意味として、日本人に古来から摺り込まれているのは悪いイメージが多く、これを「何とか解決したい」あるいは「その様な怖いことは起こって欲しくない」というネガティブな感情生起が想定されます。
 
当然、教団としては(会員の)その様な感情の生起を計算に入れ教学を組み立てている筈で、それが会員を縛り付け、あるいは金銭を差し出すことに利用出来るという訳です。
振り返れば、私の場合上手く因縁の教えを捉え、因縁により生起するであろう諸々の関係性に気づき、実親も因縁の被害者だったのだと分析・理解・納得し、「親を恨む気持ち」と「今まで、自分自身が抱えていた劣等感」が僅かであっても解消され、実親の行為を「その時点で赦した」ことは間違いありません。
 
因縁も、良いものなら放っておいても良い結果が期待出来ますが、悪いものなら心中穏やかでないことも事実です。生半可に教学を学んで、因縁に転ぜられるようでは本末転倒なのです。・・・人生、苦しいことも悲しいこともありますが、多くの楽しいことも因縁の中には存在しています。そう考えたら、あまり悲観的にならないことこそが大切なのです。
 
因縁の思想?は、たしかにそう簡単な概念ではありませんが、自分自身がどの様に判断し捉えるかで全てが決まります。因縁に縛られるのか、因縁を解こうと考えるのか?なるほど因縁とはその様なものなのか?と・・・全ては本人の考え次第なのです。
 
仏教思想は全てそうですが、複雑に難しく考えても分からない人にはわからりません。理解しやすく説く、というのも時には大事なことです。                                                   
私の場合は、仏教に関してほとんど素人同然の時に、因縁のことを学んで「実親の行為」を許そうと思ったことは間違いなく、それが人生の大きな転機に繋がったことも間違いないのです。         
(終わり)


*法津如来のコメント

石法如来は最後に、『因縁のことを学んで「実親の行為」を許そうと思ったことは間違いなく、それが人生の大きな転機に繋がったことも間違いないのです。 』   と書いておられます。
よかったですね。ありがとうございます。
posted by 法津如来 at 05:26| Comment(63) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする