○少年少女のためのスッタニパータ<922>
・・・
スマホで遊び、
無駄話しで時間を使い、
スナック菓子を
一日食べている人は
どのようになるでしょうか。
第4 八つの詩句の章 14.迅速経 8.
○毎田周一先生訳
922.
「目に見えるものを貪り求めず
つまらぬざれ言に耳を貸さず
美味なものを無闇に欲しがらず
世間の何事も愛好せぬがよい
○中村元先生訳
922
〔師いわく〕、
「眼で見ることを貪ってはならない。
卑俗な話から耳を遠ざけよ。
味に耽溺してはならない。
世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。
○正田大観先生訳
929.(922)
〔世尊は答えた〕
「〔両の〕眼による動転ある者(眼による刺激を探し求める者)として、まさしく、存さないように。
村の言説(卑俗な話)から、耳を遠ざけるように。
しかして、味について貪り求めないように。
さらには、世において、何であれ、わがものと〔錯視〕しないように。(8)
○パーリ語原文
928. (922)
チャックーヒ ネーワ ローラッサ
‘‘Cakkhūhi neva lolassa,
眼において 決して 貪ることがないように
ガーマカターワ アーワライェー ソータン
gāmakathāya āvaraye sotaṃ;
村人の話から 塞ぐように 耳を
ラセー チャ ナーヌギッジェッヤ
Rase ca nānugijjheyya,
味において また 貪ることがないように
ナ チャ ママーイェータ キンチ コーカスミン
na ca mamāyetha kiñci lokasmiṃ.
ない また 我が物と思うな なんでも 世において
○一口メモ
今回の偈は具体的で分かりやすいのですが、実践することはなかなか難しいのです。なぜならば、基本的に私達は楽しみたいと思っているからです。どのように楽しみたいかと言えば、物を見て楽しみたい。音を聞いて楽しみたい。食べて楽しみたいと思っているのです。
ですから、「眼で見ることを貪ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺してはならない。」と言われてもなかなか出来ないのです。ではどうするのか? 眼で見ることを貪ることによって、どのような苦しみを生み出しているのか調べることです。
スマホの使い過ぎやTVの見すぎで、生活にいろいろ支障が現れます。それを調べ理解するのです。聞くことも同じです。聞いて楽しむために、くだらない無駄話しをいくら聞くことは、時間の無駄であるばかりでなく、頭が混乱し正しく生きる妨げになります。美味しい食べ物に耽溺することは肥満の原因になり、健康を害します。更に重要なことは味に耽溺する人は食べるために生きるということになります。
この偈の四行目、「世間の何事も愛好せぬがよい」=「世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。」=「世において、何であれ、わがものと〔錯視〕しないように。」
とは、楽しみたいとい思いを打ち消すたにの言葉です。世間の何事も楽しめるというよりは、それらに耽溺すれば苦を生み出すことを知らなければなりません。それが分かれば、ブッダの今回の言葉を実践できるようになると思います。
目に見える 耳に聞こえる 物事や 食べ物などを 貪るなかれ<922>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎緊急連絡:6月26日(金)18:30~21:00 東京・なかのZERO小ホールにて、「スマナサーラ長老 初期仏教月例講演会が開催されるために、ゴータミー精舎によける夜の自主瞑想会は中止します。
◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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2015年06月22日
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六根を防護する。これは何度も繰り返し学んだことです。でも、実践できません(お恥ずかしいことですが)。
そこを先生はとても分かりやすく説いて下さいました。
「ではどうするのか? 眼で見ることを貪ることによって、どのような苦しみを生み出しているのか調べることです。」
さらに、私にとっては、このお言葉は、ずばっと胸に刺さりました。「美味しい食べ物に耽溺することは肥満の原因になり、健康を害します。。更に重要なことは味に耽溺する人は食べるために生きるということになります。」
今回の教えを何度も繰り返し想起して、脳裏に深く刻みます。御指導ありがとうございました。
私も街中で避けるのに危なかったことがあります。
楽しさを追求すれば、それに見あった苦しみが生じます。
これが現実です。
涅槃に到達するためには何かを捨てなければいけません。
仏教ではその一つに「五欲に対する固執」を挙げています。
今回のお話は正にそのことだと思いました。
日々の生活の中で、繰り返し思考の中に入れる、観察することが大切だと思います。
当時を振り返ると・暇が嫌で・刺激がないのが辛くて、必死にきりがない事をしていたように思います。
耽溺し苦を生まないように戒めたいです。
挨拶が出来なかったり、遅刻したり・・そんな状況が当たり前な若者もいる様子の中で、その甘さを正せるような、そんな流れになると良いなと思う事があります。それを正義の剣のように振りかざしてしまうと容易に勘違い野郎に転落すると思いますので、そのような面で気を付けたいです。
やらなければならないことを先延ばしにしている時や目的意識のない時に、手っ取り早く「楽しみたい」という気持ちがあったからです。今でも気をつけていないとその罠にはましそうになりますが、ハッと気づいて止められる回数が増えてきました。
死ぬまでの間少しでも有意義な時間を過ごせるようにしようと心がけています。