○少年少女のためのスッタニパータ<921>
・・・
目的地に確実に着くためには
大まかな計画と細かい地図が必要なように、
涅槃に到るには
基本的な姿勢と具体的な修行が必要だ。
第4 八つの詩句の章 14.迅速経 7.
○毎田周一先生訳
921.
「明らかな眼を以てあなたが自ら証しせられた煩いを除く法を
いまお聞きしました。
尊き方よ 更に正しい行いについてお示し下さい
人の必ずせねばならぬことと 深く思わねばならぬこととはなんでしょうか」
○中村元先生訳
921
[質問者はいわく]、
「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、
危難の克服、を説いてくださいました。
ねがわくは正しい道を説いてください。
戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」
○正田大観先生訳
928.(921)
〔対話者が尋ねた〕
「開かれた眼ある方よ、〔あなたは〕述べ伝えてくれました
――自ら体現した法(真理)として、危難を取り除くことを。
あなたに、幸せ〔有れ〕。〔実践の〕道を説いてください。
戒条(波羅提木叉:戒律条項)を〔説いてください〕。
しかして、あるいは、また、〔心の〕統一(定:三昧の境地)を〔説いてください〕」〔と〕。(7)
○パーリ語原文
927(921)
アキッタイー ウィワタチャック
‘‘Akittayī vivaṭacakkhu,
教えてくれた 眼の開かれた方
サッキダンマン パリッサヤウィナヤン
sakkhidhammaṃ parissayavinayaṃ;
体得した法を 危難を調伏する(法)を
パティパダン ワデーヒ バッダンテー
Paṭipadaṃ vadehi bhaddante,
実践の道 説き給え 尊師よ
パーティモッカン アタワーピ サマーディン
pātimokkhaṃ athavāpi samādhiṃ’’.
戒律条項を 或はまた 心の統一を
○一口メモ
今回は質問者の偈です。前半は第一の質問の解答へのお礼の言葉と言ってよいでしょう。これはブッダが体得した法(真理)と煩悩を取り除く方法を教えて頂いたことへの感謝です。
この偈の後半では、質問者は新たな質問をします。それは、修行実践の道(方法)と戒律条項、心の統一についてです。これらの質問の解答は少し具体的になります。
釈尊よ 正しい道と 戒律と 心の統一 教えて下さい<921>
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◎2015.6.14.付けで掲載した914偈の「一口メモ」の修正
大集積経の最後の914偈の四行目のnūparatoの訳について、次のように書きました。
http://76263383.at.webry.info/201506/article_14.html
「⑤については、毎田先生と中村先生は、「快楽に耽ることない。」と訳されましたが、正田先生は「〔作為の〕止息ある者ではない。」とされています。注釈書には「止息なく」とは、善良な凡夫・有学の人たちのように止息をそなえた者ではない。」となっています。すなわち、止める者ではないとなっています。しかし、原文では行頭に否定語がありますから、止める者ではなくないとなり、止める者であると取れます。そうするとここは、止める者は、止めない者とも取れます。私は止める者と取りたいのですが、対象が明記されていませんので、今のところこれ以上は分かりません。」
上の文章を書いた時点では、私は毎田先生と中村先生が「快楽に耽ることがない」と訳す根拠が分からず、nūparatoをna〈否定〉+uparato(止息)と取っていました。
しかし、これはna〈否定〉+upa(近づく)+rato(楽)と分解できることが分かりました。私は注釈書に従っていましたが、毎田先生と中村先生の「快楽に耽ることがない」という訳の方が分かりやすいという思いに至りました。この件に関して皆さんも検討して下さい。
これは昨日のゴータミー精舎におけるパーリ語輪読会での参加者の皆さんのアドバイスのおかげです。この場で感謝を申し上げます。
後日、2015.6.14.付けの「一口メモ」の引用部分の修正を致します。
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎緊急連絡:6月26日(金)18:30~21:00 東京・なかのZERO小ホールにて、「スマナサーラ長老 初期仏教月例講演会が開催されるために、ゴータミー精舎によける夜の自主瞑想会は中止します。
◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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2015年06月21日
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明日からの教えは、まさに私が学びたいことです。明日からの説法が楽しみです。
また「nūparatoをna〈否定〉+uparato(止息)」について「na〈否定〉+upa(近づく)+rato(楽)と分解できる」という可能性をご説明して頂きました。私は、こうやって丁寧に指導して下さるワンギーサ先生のお気持ちに頭が下がります。本日もありがとうございました。
しかし、分かりやすい=正しいあるいは適切、とは限りません。
断定せず、検討したいと思います。
涅槃への行き方をお釈迦様に問うてる会話だと思います。
パーリ語の翻訳は難しいなというところが正直な感想です。