2015年06月21日

釈尊よ 正しい道と 戒律と 心の統一 教えて下さい<921>

○少年少女のためのスッタニパータ<921>
・・・
目的地に確実に着くためには
大まかな計画と細かい地図が必要なように、
涅槃に到るには
基本的な姿勢と具体的な修行が必要だ。


第4 八つの詩句の章 14.迅速経 7.

○毎田周一先生訳
921.
「明らかな眼を以てあなたが自ら証しせられた煩いを除く法を
いまお聞きしました。
尊き方よ 更に正しい行いについてお示し下さい
人の必ずせねばならぬことと 深く思わねばならぬこととはなんでしょうか」


○中村元先生訳
921
[質問者はいわく]、
「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、
危難の克服、を説いてくださいました。
ねがわくは正しい道を説いてください。
戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」


○正田大観先生訳
928.(921)
〔対話者が尋ねた〕
「開かれた眼ある方よ、〔あなたは〕述べ伝えてくれました
――自ら体現した法(真理)として、危難を取り除くことを。
あなたに、幸せ〔有れ〕。〔実践の〕道を説いてください。
戒条(波羅提木叉:戒律条項)を〔説いてください〕。
しかして、あるいは、また、〔心の〕統一(定:三昧の境地)を〔説いてください〕」〔と〕。(7)


○パーリ語原文
927(921)
アキッタイー     ウィワタチャック
‘‘Akittayī       vivaṭacakkhu,
教えてくれた     眼の開かれた方

サッキダンマン     パリッサヤウィナヤン
sakkhidhammaṃ     parissayavinayaṃ;
体得した法を      危難を調伏する(法)を

パティパダン    ワデーヒ   バッダンテー
Paṭipadaṃ      vadehi     bhaddante,
実践の道      説き給え   尊師よ

パーティモッカン    アタワーピ   サマーディン
pātimokkhaṃ       athavāpi     samādhiṃ’’.
戒律条項を       或はまた    心の統一を


○一口メモ
今回は質問者の偈です。前半は第一の質問の解答へのお礼の言葉と言ってよいでしょう。これはブッダが体得した法(真理)と煩悩を取り除く方法を教えて頂いたことへの感謝です。

この偈の後半では、質問者は新たな質問をします。それは、修行実践の道(方法)と戒律条項、心の統一についてです。これらの質問の解答は少し具体的になります。


釈尊よ 正しい道と 戒律と 心の統一 教えて下さい<921>


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◎2015.6.14.付けで掲載した914偈の「一口メモ」の修正

大集積経の最後の914偈の四行目のnūparatoの訳について、次のように書きました。
http://76263383.at.webry.info/201506/article_14.html

「⑤については、毎田先生と中村先生は、「快楽に耽ることない。」と訳されましたが、正田先生は「〔作為の〕止息ある者ではない。」とされています。注釈書には「止息なく」とは、善良な凡夫・有学の人たちのように止息をそなえた者ではない。」となっています。すなわち、止める者ではないとなっています。しかし、原文では行頭に否定語がありますから、止める者ではなくないとなり、止める者であると取れます。そうするとここは、止める者は、止めない者とも取れます。私は止める者と取りたいのですが、対象が明記されていませんので、今のところこれ以上は分かりません。」

上の文章を書いた時点では、私は毎田先生と中村先生が「快楽に耽ることがない」と訳す根拠が分からず、nūparatoをna〈否定〉+uparato(止息)と取っていました。
しかし、これはna〈否定〉+upa(近づく)+rato(楽)と分解できることが分かりました。私は注釈書に従っていましたが、毎田先生と中村先生の「快楽に耽ることがない」という訳の方が分かりやすいという思いに至りました。この件に関して皆さんも検討して下さい。
これは昨日のゴータミー精舎におけるパーリ語輪読会での参加者の皆さんのアドバイスのおかげです。この場で感謝を申し上げます。
後日、2015.6.14.付けの「一口メモ」の引用部分の修正を致します。


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎緊急連絡:6月26日(金)18:30~21:00 東京・なかのZERO小ホールにて、「スマナサーラ長老 初期仏教月例講演会が開催されるために、ゴータミー精舎によける夜の自主瞑想会は中止します。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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posted by 法津如来 at 03:53| Comment(6) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
明日からの教えは、まさに私が学びたいことです。明日からの説法が楽しみです。
また「nūparatoをna〈否定〉+uparato(止息)」について「na〈否定〉+upa(近づく)+rato(楽)と分解できる」という可能性をご説明して頂きました。私は、こうやって丁寧に指導して下さるワンギーサ先生のお気持ちに頭が下がります。本日もありがとうございました。
Posted by kempsford at 2015年06月21日 04:08
〈914〉については、確かにその翻訳のほうが遥かに分かりやすいと思います。

しかし、分かりやすい=正しいあるいは適切、とは限りません。

断定せず、検討したいと思います。
Posted by 愛 at 2015年06月21日 04:51
こんばんは。いつもありがとうございます。
涅槃への行き方をお釈迦様に問うてる会話だと思います。

パーリ語の翻訳は難しいなというところが正直な感想です。
Posted by みき at 2015年06月21日 21:47
パーリ語の翻訳は未だに全く出来ない状態の自分ですが、深さを感じました。今後も学ばせて頂きたいです。
Posted by 身の丈修行者 at 2015年06月24日 12:49
パーリ語の翻訳が自分でできたらと憧れつつも、それ以前にすべきことがたくさんあるように思えて結局勉強に踏み切れず何年も過ぎてしまいました。このブログを読むことで、パーリ語にふれる機会を得られました。ありがとうございます。
Posted by エル at 2015年06月27日 20:25
志を持って涅槃に至れるように精進したいです。ですが、日常の中で、それが停滞する状況が容易に発生します。家庭や仕事もそのような意味では言い訳にしかならないと思います。夜叉の様な誘惑も普通にあります。そんな中で道や地図をガイド下さる長老の教えを元に、一歩でも進める様に努めたいです。
Posted by こころざし at 2016年11月18日 10:16
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